日記

vol.001(2008年4月23日) メールマガジン創刊号より

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○メールマガジン発行にあたって。

はじめまして、津田祐子です。老人保健施設に管理職(婦長)として勤務して現在(2002.11)で9年目を迎えます。それまで2カ所での婦長経験と併せて、管理職とは何かと模索してきた年月でしたが、私なりに幾つかの気づきや学びがありました。
時にはスタッフと親子のような関係であったり、兄弟のような関係であったり、相手と場合によりいろいろですが、根本的には人との関わりや交わりであって、家庭における家族とそうかわらないなあと思います。

二人の子供を育てましたが、その経験から、子供によって親らしくさせてもらったと感謝しております。10歳の子供なら母親10年生、右も左もわからないこともありますから、「こうやってみようか。」と相談をしてみたり、「ねえ、どう思う?」と問いかけてみたり、大人では気づかない発想や優しさや思いやりのある指摘をもらうこともありました。
そして、頼りない母のことを思いやって自分がしっかりしなければ・・・と感じたのか、母子分離も早かったように思います。

職場では、師長(以前は婦長)といえど経験が浅いので、利用者のこと、スタッフのこと、管理のこと、日々いろんな事が起きるのですが、これらは私にとって新たな体験です。経験あることは多少のノウハウがわかるのですが、先が見えないことの選択と判断の狭間に立つことはスリルと責任があります。躊躇できない場合も多々あり、度胸も必要です。そのような時、信念や理念が支えとなってくれます。来るなら来い、明日のことは誰も未知のことだから、恐れることはない、来てから考えてもいい、と。

かって私がスタッフだった時、どんな管理者が素敵なんだろうと部下の立場で考えたことがあります。非常に俊敏でさわやかでてきぱきと仕事をこなす主任の下で仕事した時のことです。緊張感があってみんな意欲的に仕事に取り組めて良い環境でした。

しかし、この主任が公休の時、今日は気休めできるなあとずるい考えが脳裏をよぎるのです。また、配置換えで別の主任の下で働いた経験ですが、私たちは子供を抱え仕事をする看護師でしたから、急に保育園から電話がきて、「子供さんが発熱で、今日は保育は無理です。お母さん、すぐお迎えに来てください。」と言われることもままあります。そのような時、この主任は、話を全部聞かずに「いいからすぐ行ってあげなさい。仕事はいいから・・・。」と、自分がそのスタッフの分もしょいこんで頑張る方でした。この方が公休の時、私たちは「今日お休みなの?」と、とても寂しいと感じました。お母さんのような包容力と勇気と行動力がある方でした。

この経験によって、“公休の時スタッフが寂しいと感じるような、居るとほっとするような人”が私の望む管理者像になりました。それは、現在も持ち続けている“目標”です。今後も努力してゆきたいと思っています。

わずか数年の老人保健施設師長の経験ですが、私の気づきや考えをまとめ広く皆様にご意見など頂ければ幸いです。

○私とケアプラン

ケアプラントとの出会い 第一回

ここ数年、私はケアプランの作成に非常に興味を抱いていました。近頃も自分で考案した「津田式ケアプラン」を発表するなどして賞を戴き、また講演をするなどますます関わりを深めています。 そこで今回メールマガジンを出すにあたって私が“ケアプラン”というものに出会った頃からのお話を何度かに分けて書
いていこうと思います。

1, やる気が起きない。

平成8年4月に入り理事長より指示があり、いよいよ私の勤務するフェニックスでもケアプランに本格的に取りかからねばならなくなった。

ケアプランという言葉を初めて耳にしたのは、平成7年2月で、講演会があるから聞きに行ってきなさいと言われ「高齢者ケアプラン策定指針」厚生科学研究所出版の本を頂いた。演台に立って説明してくれたのは看護学校の先輩で、立派なお話だった。マンツーマンでスタッフに教育し実践したと話されていた。

これからは、こういう時代になるのか、問題が領域別の項目に整理されていて 良い。しかし、用語が無資格者に難解ではないか、多忙な業務のどの時間をさいて取りかかればいいだろう? デスクワークが増える、ただでさえベットサイドに行って上げられる時間が少ないというのに。 講演を聴きながらそんな事をいろいろと考えた。

施設に戻りとりあえず数人のスタッフが本を手にして読み始めた。医学的知識が全くない相談指導員が医学用語辞典を片手に用語の解読から始めた。理解できなければ看護師に聞きながらやっているのを見て、その努力に平服しつつ、ケアワーカー全員に強要できないと強い憤りを感じた。ソフトメーカーが来て説明があった。ますますやる気がなくなり、この方法ではやりたくないと強く感じた。その内、理事長があまり口にしなくなったのでやれやれと肩の荷を下ろしていた。

ところが、何時までも羽を伸ばしておれないようで、平成8年3月低減制が導入されるようになり、仕方なく腹をくくって取りかかることにした。

2,高齢者アセスメント表チェック項目のチェックを行って

3人の入所者を選び、医師、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、看護は全員、相談指導員、ケアワーカーは主任・副主任・介護福祉士に一部ずつチェックリストを渡し、1週間後4月17日にチェック合わせを予定した。各スタッフは大変なものが舞い込んできたと思いつつも、期限も迫っているので真剣に取り組んでくれた。

水曜日の午後2時、医師、PT、OT、看護2名、ケアワーカー2名、相談指導員、師長(私)合計9人が集まって会議を始めた。このチェックは、全職種が集合して意見を交わさないとすべての項目のチェックができなかった。一人のチェック合わせが終了したが、初回だったからか、1時間を要した。

「お疲れ様」と言った後、同席していたケアワーカー2人に対して一言も意見を聞いていなかったと気づき愕然とした。存在感がなかった。改めて二人に意見を求めると「看護師さんと一緒でしたから・・・。」と笑顔で応えてくれたが・・・。

私はチェックリストの文の理解に悩みチェックに集中していて二人への気配りに欠けていた。会議中の配慮が足りなかったか?・・・いや、違う! 何か問題がある! ケアワーカーが入らなくてもすべてのチェックが済むなんて・・・私は気が重くなった。

なぜだろう?すっきりしない。このシステムは何か問題がある。彼女らの存在感がないチェックリストなど意味がないではないか。 そういえば、相談指導員のかかわる項目も少ない。事務兼運転手兼ディスタッフをやっている。彼も十分に参加できていないようだ。私も管理職なのでスタッフの管理におわれて、現場で利用者の細かい状態を把握していないからチェックリストの内容が正しいかチェックできない。

「一体どうなっているのだろう?・・・わからない。」と、ぶつぶつ独り言を言いながらその日は重い足取りで帰宅した。このテキストに沿ってやっている施設もあるのに・・・なぜ?・・・。

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