私の人生哲学

まえがき

私の仕事の関係で、介護施設に入所されている高齢者の悩みをお伺いすることも多く、あるとき入所者から「人生哲学について何か話をして欲しい」と依頼されました。専門的に哲学を学んでもいないし、ずいぶん難しい要求だと思いましたが、「私の人生における哲学なら、これまでどのように考えてやってきたのか、これからどう生きていこうとしているのか・・・であればお話ができるかな」と考え、いくつかまとめてみました。
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平成20年10月20日掲載分
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日々の生活が毎日楽しくて、楽しくて、という人は少ないですよね。何らかの悩みや苦しみを抱えているのが実情でしょう。人は何故悩み迷い苦しむのか考えてしまいます。ですが、大抵、自分の期待がかなわないときに悲しみ・怒り・苦しみました。自分を苦しめない考え方を追い求め、すこしずつわかってきたのは、他者への愛、誰かのためにお役に立とうと思うときに、自分の苦しみが減るということでした。
悩みの岐路に遭遇したとき、「いつか年を経て、職場を去らねばならないとき、悔いがないようにしておきなさい」とご指導くださった恩師に心から感謝しています。この言葉は、私にとってとても大切な人生指標となりました。

 

平成20年6月18日掲載分
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これらの言葉は、いずれも私が10歳〜14歳の頃に父母から何度となく聞かされた話を拾ってみたものです。母はよく夕食後のひととき、二宮金次郎や中江藤樹の立派な生き方を語ってくれたり、自分たちの苦労話を話してくれて・・・泣いたり感動したりしながら聞き・・・とても楽しい思い出を作ってくれました。

 

平成20年2月掲載分
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拙い私の文字を入所者(今は亡き方です)の娘様「松永千鶴子様」が綺麗な筆で書き直してくださいました。もったいないことでございます。今はもう、忘れられない思い出となりました。

私のこれまでの人生の中で、祖父、曽祖父、父、母、また仕事でお世話になった恩師から、沢山の励みになる言葉をいただきました。それが今の私の生き方を支えてくれています。祖父の時代も曾祖父の時代も決して楽な人生ではなかったようです。母から口伝えで聞いた苦労話は、子供心にとても深く残りました。曾祖父は資産を奉納し、財を無くし祖父の代から苦労がありました。幼い私には父母の姿を見るにつけ 「なぜ、曾祖父は家、土地を売ってしまったのかしら?」と疑問を感じつつ胸にしまっていました。祖父は天理教の文教会の会長として生涯を捧げ49歳で他界しましたので、私は祖父の顔も知りません。出征時の写真を見る程度ですが母から聞くその生き方は大変誇りに思います。

私もいささかの艱難辛苦を経て、人間にとって大切な物は"利他愛なのだ"と気づくに至りました。ここにきてやっと曾祖父の「無財の教え」の意味をつかむことができました。

私にとってこの「人生哲学」には、69歳で逝った父の言葉も刻まれていて、本当に指標となりました。いつも原点にかえり見直すようにしています。その一部を少し紹介させていただきました。