津田式ケアプラン誕生の経緯

はじめに

はじめに私の人生の紆余曲折をよく知っておられる恩師が、この職場に入るようにすすめた。「いつの日か、看護婦としての専門職を去るときに、悔いを残すな! 苦労と困難を乗り越える度大きくなる貴方には、厳しい道が似合う。」この温かい励ましの御かげにより、今の私がある。 

そして、私の望む理念やケア方針で管理させて頂ける理事長ご夫妻の元で、温かく聡明な施設長や施設管理長、心優しく“利用者の笑顔を仕事の生き甲斐にしている”向上心豊かなスタッフ達に囲まれた環境があったから、このオリジナルなケアプラン手法が誕生した。

しぶしぶ取りかかって

しぶしぶ取りかかって平成7年2月講習会があるので行って来なさいと言われ「ケアプラン研修会」に参加。難しい用語に抵抗を感じた。当施設には、無資格の介護職もいるし、優しき彼彼女らに強要できない・・・(やりたくないなあ)と。多忙な業務のどの時間をさいて取りかかれば良いか?デスクワークが増える。ただでさえベットサイドに行ってあげられる時間が足りないのに・・・。

とりあえず数人のスタッフがテキストを読み始めた。医学用語辞典を片手に、看護婦に聞きながら用語の解読をしているスタッフの姿に平服しつつ憤りを感じていた。

介護が反映されない?

平成8年4月、いよいよ腹をくくり取りかかった。
「高齢者ケアプラン策定指針」(MDS−RAPs)を用いて、入所者のチェック項目を医師・PT・OT・看護2人・介護2人・相談指導員・婦長(私)で9人が参加し、初回の1人のチェックには60分かけて行った。

介護が反映されない?

(やれやれ、終わった!)と思ったら・・・えっ?(会議に参加した介護職2人は、一言も意見を言わずだった!)(何で?・・議事進行の私が配慮が足りなかった?・・)「看護婦さんと同じ意見でしたから・・・」と返事した2人だったが・・・。愕然とした。途端に、黒い陰がずしりと重くのし掛かってきた。 (これはおかしい? だけど、どうしてだろう・・・??

当施設は、看護介護が一緒に入浴介助やおむつ交換をしているから、同じ気づきだとは思うけど・・・、でもそれでは、介護の出る場が無いのでは・・??)

わからないことがわかる感動!

わからないことがわかる感動!不可解で眠れなかった。その夜、ぼんやり天井を見ていて、突然!今まで霧がかかっていた目の前が足下からスーっと引いていく素晴らしい感動を味わった!! 平成8年4月18日深夜2時。

私がわからなかったこと、探していたのは“生活だ!!。介護職は、生活を支えている!!”。生活(=衣・食・住)行為の内、要介護高齢者が出来ていない部分に支援が行われているのだから、生活行為を分析しチェックリストを作ればよいのではないか、そうすれば、介護の専門性が生ずるのでは・・・。

私が想像したチェック項目(入浴や排泄など169項目)を、翌日介護職20人に依頼、不足事項を書き加えてもらった。(1週間以内に追加してきた項目は500余り)これを原型に、3ヶ月試用し、修正。また3ヶ月試用、修正を繰り返し、4年が経過。介護のチェックリストは約120項目に落ち着いた。

ケアプラン?何のために?

何のためにケアプランをするのだろう?と、はたと考えた。
結果、わかったことは「安心」を提供するためではないか?。つまり、こういうこと。
よい良いケアを提供するためにケアプランを策定するのだが、「より良いケアとは何ぞや?」それは、良いケア=“安心すること”ではないか・・・。

ケアプラン?何のために?

では、安心してもらうにはどうすればいい?。それには、ケアの質を確保すること=職員の資質を向上すること。

職員の資質の向上?・・・私は、開設後の2年間、婦長として教育らしきものを行っていなかった!!(スタッフにいうよりも己自身が反省しなくてはいけなかった!)ケアプランに手がけるよりも先にしなくてはならないことがあった。

まずするべき事は、“ケアの体制作り”を!・・・。

ケアプランはそれからしても遅くないと感じた。
振り返ると、教育の必要性やケアのシステム作りの重要性について、もしもあの時、ケアプランに取りかかっていなければ気づかないでいたかも・・・・。

まずするべき事は、“ケアの体制作り”を!・・・。